「ネットでは目的のコンテンツだけをピックアップして消費していく」の間違い

電子書籍というか、電子出版はようやく環境が整い始めて経済的機会構造?が生まれている気がします。


いいたいのは、
・そんなに上手な消費スタイルはない
・いつまでもランキング全盛だと思うなよ
・情報の流れ方をふまえない販売はない
ってなことです。
そんなかんじの思考メモです。

現状に対する感想

技術が整っただけでは商売になりません。
商売上の関係者の理解と協力が得られてはじめて、ある程度の商材が確保できて、市場ができます。


じゃぁどうすればそういう構造ができるのか。
市場ができれば、商売上の関係者の理解と協力は得られます。当たり前。
結局卵が先か、鶏が先かになります。


いいタイミングでリスクを取れば成功するし。
同じリスクをとってもタイミングを間違えば、リスクにつぶされてつぶれちゃうわけですね。


既に電子書籍は、市場が立ち上がる時期。
つまり今からあわててリスクをとっても新参者が加わる余地はありません。
だから、つまらないといえばつまらないです。あとは傍観するのみ。


しかしまだまだ迷走?する余地がありそうです。



「消費」者はそんなに賢いか?

若干引用が長くなりますが……

――「本」の買われ方も変化しそうです。iTunesが「音楽の聴き方」を変えたように、来るべき電子出版も「本の読み方」を変えてしまうかもしれません。iTunesではCDのように複数の曲がセットで売れるのではなく、1曲単位で購入される傾向があります。本も1巻、2巻といった単位ではなく、1話、1章という具合に細分化して販売される方向もありえます。そうなった場合、出版社はどのようにモノ作りをし、マーケティングを行なっていけば良いのでしょうか?

星野 これは電子化全般に言えますが、コンテンツや機能は細分化される傾向にあります。わかりやすい例で言えば、週刊誌はいわば「抱き合わせ販売」でした。

 グラビアがあり、ゴシップがあり、コラムもある、そういったコンテンツのバンドル型モデルで消費されてきたのですが、ネットの世界ではそのようなモデルはあり得ません。ネットでは目的のコンテンツだけをピックアップして消費していくわけです。

 産業の規模=価格×流通量と考えると、コンテンツがアンバンドル(分解)された結果、価格や流通量にどのような影響を与えるのか、というとらえ方をする必要があります。

 グーテンベルクの印刷技術の普及によってコンテンツの流通量は爆発的に向上しました。一方でひとつひとつのコンテンツの価格は、生産コストが下がる訳ですから必然的に下降しますが、産業規模としては飛躍的に大きくなったわけです。

 私はこれから電子出版で起こる変化も同様であると考えています。ただし、これまで見てきたように、現在出版に関わっているプレイヤーがそのまま電子出版にも関われるとは限りませんが……。


「出版」=コンテンツベンチャーの理念に立ち返れ(ASCII.jp)
 http://ascii.jp/elem/000/000/513/513982/


読者に利益のない「抱き合わせ販売」が滅ぶという意味では真。
「ネットでは目的のコンテンツだけをピックアップして消費していく」は偽。


消費行動としてはそうみえるかもしれません。
しかしそれに委ねるなら、コンテンツの市場は確実に縮小する一方になると思います。
なぜなら、「目的のコンテンツだけをピックアップ」するほど、コンテンツの利用者は器用でないからです。


情報やコンテンツの量が増えれば増えるほど、そこにたどり着くまでに多くの人は脱落します。
ハードルがあがれば、もっと楽に楽しめるものに流れます。
そうすると当然ながら、必ず市場は小さくなるのです。


コンテンツは、それに接触する機会を増やせば、そのコンテンツを買う可能性は確実に増えます。
一方で、接触する機会が減れば、可能性もまた減ります。


だから真は、

ネットでは目的のコンテンツだけをピックアップしようとして、結果消費しなくなる」

なのです。


これでは、「電子出版で起こる変化」は絶望的なものになるでしょう。
産業規模としては小さくなる、のです(その是非はとりあえずおいておくにしても)


コミックの例

これはコミック誌のことを考えれば分かります。
コミック誌は複数のコミックの抱き合わせ販売ですが、今でも「アンバンドル(分解)された状態で購入できます」。
それは単行本です。


では「本の読み方」が変わるなら、単行本(または各章ごと)だけ売れば、抱き合わせ販売たる雑誌はいらないでしょうか。
もしそんなことをすれば、単行本(または各章ごと)の売り上げは確実に落ちるでしょう。


これは紙の書籍だろうが、電子書籍だろうが、問いません。
他のコンテンツでも同様です。


大事なのはむしろ、いかに「抱き合わせ」するか

そもそも音楽が1曲単位で購入して意味があるのは、1曲1曲で作品としての形が整っているから意味があるわけです(一方1つのアルバムで作品として構成してあるよくできたものもあると思いますが、とりあえずそれはおいておきます)。


本を1章単位で販売するというのは、読者に選択肢を提供するという意味で間違いではないですし、喜ばれるでしょう。
しかしこれは音楽を1小節単位で販売するようなものです(選択肢としては意味がありますよ。着メロにするならサビの部分だけで十分……といった用途もありますから)。


つまりこれらは結果にすぎず、本質的な意味はなにもありません。
正直、この点をあれこれいうのはナンセンスだと思います。
コンテンツの性格にあわせやればよろしい。



大事なのはこっち。
1曲1曲で買うのは、iTunesで1曲1曲試聴した挙げ句よく考えて購入するのではありません。
TVやCM、YouTube等で既に聴いて知っている、気に入った曲を買うわけです。


どこで接触するか、が違うだけで、今も昔もこれからも接触機会こそが購買行動に大きな影響を与えるわけです。
広い裾野って大事なんですよ。
作る人がいて、買う人がいて、間をiTunes Music Storeがつなげば、両方ハッピーになる。そんなことはありえない。

どういう形であれ、目に触れてもらうこと、手にとってもらうことが重要。


そうすると、大事なのは、情報のフローの部分です。
情報の流れがあるところは、形はどうであれ市場ができあがっていきます。
情報の流れがなくなれば、市場はしぼんでいきます。


いかに抱き合わせで接触してもらい、認知してもらうか。
関係を作っていくか


(フロー)        (ストック)
雑誌→→→→→→→→→→→単行本
ラジオ→→→→→→→→→→音楽
期間限定の放・劇場公開送→映像の購入


媒体が変わるだけでやることは一緒です。
ただし媒体が変わると、情報のまとめ方がかわる。


それだけの話です。
それを無料でやるのか、有料でやるのか。
編集長みたいな読者から顔のみえない人がやるのか、アルファブロガーみたいなチョイスに定評のある個人ブランドをいかして「抱き合わせ」るのか。


色々考えられますね。だから面白い


「電子出版で起こる変化」

まだ当分変わらない気がします。
情報のフローが変わってはじめて大きな変化が起こりますよ。


その変化を見誤れば、レコード業界になります。
丁寧に裾野をつくらなければ、前提条件が崩れた時点で崩壊する。
当たり前の話です。



出版に話を戻すと、今から何かやるなら、電子書籍配信ではなく、電子雑誌配信です。
それも既存媒体の電子化ではなく、新規媒体の電子化です。
既存媒体の電子化ももちろん意味はありますが、既存読者のとの関係もあるでしょうから、大きく変化はできないでしょう。だから新規媒体で、新しいチャンネルをつくるべきなのです。


読者とのチャンネルの確保と習慣づけさせ済めば、自然とその延長にある電子書籍配信で結果を出せるようになります。


双葉社Webコミックハイ!あたりは、はやいとこスマートフォン対応とか済ませるべきだと思うのですがどうなんでしょうね。